(1) Imperial Eclipse:
Japan’s Strategic Thinking about Continental
Asia before August 1945 (Cornell University
Press, USA, 2013) [Studies of the Weatherhead
East Asian Institute, Columbia University]
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第二次世界大戦末期、軍国主義に洗脳された日本は狂信的に戦い続けようとしたが、原爆投下によってようやく降伏した― というのは戦後できあがった神話の1つにすぎない。 日本政府は、ソ連が日米和平交渉を取り持ってくれると最後まで期待し、ソ連参戦まで降伏を先延ばしにしてしまった、というのも「東京裁判」が作り出した神話の1つだ。この著は、戦争末期に日本人が抱いた世界観を掘り起こし「終戦神話」の修正を迫る。軍・政治・外交指導者や知識人たちは、当時すでに顕著化しつつあったアメリカとソ連の覇権争いに注目し、大日本帝国崩壊後の中国と朝鮮に干渉してくることを予測した。そして新しい東アジア情勢の中で「敗戦日本」はどう生き延び、復活できるかを考えた。日本は決して無策のまま無条件降伏したわけではない。しかし戦後冷戦構造の下アメリカの同盟国として再起する過程で、この「終戦戦略」は隠蔽され、日本人は中国の戦場を、朝鮮の植民地を、そしてソ連との奇妙な友好と駆け引きを忘れていった。これまで語られることがなかった日本の終戦工作・考察を明らかにすることで、日本人が70年間忘れていた記憶を呼びさまし、新しい「日本の戦争と植民地帝国の歴史」を描くきっかけをこの著が提供することを期待したい。 |
詳しい内容については、→コ−ネル大学出版ホ−ムペ−ジをご覧下さい。
日本語版:『1945予定された敗戦 ソ連進行と冷戦の到来』(人文書院2015年)
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Imperial Eclipse の日本語版も出版しました。自分で翻訳し英語のオリジナル版と全く同じ内容を日本の読者の人たちに問いかけることが出来ました。
人文書院編集者赤瀬さんに感謝します。 |
詳しい内容については、→人文書院ホームページをご覧下さい。
中国語版:『躁●的日本:危●而不●人知的日本●略史●』(広東人民出版社 2014年)
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中国語版も出ました。Cornell University Pressが扱った翻訳出版なので、残念ながら私は内容に一切タッチしていません。2014年12月上海交通大学が主催した第二次世界大戦に関するシンポジウムに招聘された際、なかなか面白い本ですね、と中国の先生方に言って頂きました。この中国語版の翻訳が読みたいです。 |
(2) Trans-Pacific Racisms
and the U.S. Occupation of Japan
(Columbia University Press, 1999)
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第二次世界大戦が終わり米国による日本占領が始まると、大戦中相互に抱いていた「ジャップ」「鬼畜米英」といった人種的嫌悪感はウソのように消えてしまい日米友好の新時代が始まった。一体何が起こったのか。同書は、日米双方の人種主義の史的分析を背景に、日米友好と憎悪の心理的レトリックを説明し、戦後日本に造り出された「脱亜入米」の世界観とその落とし穴を明らかにしていく。 |
詳しい内容については、→コロンビア大学出版社のホームページをご覧下さい。
同書は、2001年度大平正芳記念賞を受賞しました。
→「選評」(『平成13年度大平正芳記念財団の事業(2001・6・12)』より)
(3) “East Asia’s ‘Melting
Pot’: Reevaluating Race Relations in Japan’s
Colonial Empire,” in Rotem Kowner and Walter
Demel, eds., Race and Racism in Modern East
Asia: Western and Eastern Constructions (Brill,
Netherlands, 2012)
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イスラエル、ドイツ、アメリカ、ロシア、オーストラリア、韓国、そして日本などの研究者が近代以降東アジアに広まった人種概念を、欧米諸国の「規範」と比較しつつ分析考察した論文集。筆者が担当した上の論文は、戦前日本の植民地帝国の社会・経済・文化規範を形成した人種観および人種政策が、欧米植民地帝国のそれと非常に異なる独自のものであったことを、次の3つのケ−ス・スタディ−から分析考察する。まず、支配者(日本人女性)と被支配者(植民地の男性)の婚姻が稀でなかったこと。次に南洋群島において支配者(日本人)自身がプランテーションでの肉体労働に従事していたこと。そして満州国に暮らす白系ロシア人が、東西文化融合の推進者として尊重されたことである。 日本の植民地帝国において支配者と被支配者の人種関係は「あいまい」であり、それを可能にしたのは、日本人は混血民族であるという解釈であった。「日本人純血民族説」が主流になるのは、太平洋戦争以降とくに敗戦後であったことを裏付ける作品でもある。 |
詳しい内容については、→オランダ Brill 社のホ―ムペ―ジをご覧下さい。
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